物語は「神々の争い」から始まる。
太古より続く、オクトゥム神とバルドゥス神の争い。
大地は天界の水鏡・・・
神々の争いは地上に飛び火し、二つの宗派が互いを憎み、争い、傷つけあった。それがいつ終わるのかは誰にもわからないが、それは幾度も繰り返されてきた。
アヴィンとアイメルの兄妹は、その争いの為に、神器を持ち、幼くして離れ離れになり世から隠れて生活しなければならなかった。そしてアヴィンの育ての人の死をきっかけにアヴィンはアイメルを捜す旅に出る。しかし、神器を捜すオクトゥム派の監視の目はまだ消えてはいなかった・・・。
ファルコムにしては珍しく、宗教色が濃い始まり方である。そして物語も、今までのように軽い話が少なくて「重い」話が多い。もちろん、実在する宗教を模倣している訳ではないので念のため。それにしてもヘビーな物語である。
「白き魔女」がジュリオとクリスの旅日記とすれば、「朱紅い雫」はアヴィンの冒険日記である。「冒険」をプレイヤーは体験する事になる。それはつらい冒険だが、その為にプレイヤーはアヴィンの言葉に素直に感情移入できる。例えば、金を手にいれるには魔物を倒すか、冒険屋で仕事を受けてそれで稼ぐしかない。始めのうちは、本当に魔物を倒すのもままならない状態なので、街の中で仕事をこなして金を貯めて装備を揃える必要がある。少しずつ慣れていくと難しい仕事もこなせるようになっていくのだが、これはいいアイデアだと思った。もっとも、「冒険屋」というネタは「フォーチュン・クエスト」という小説で既に使われているが、ゲームでは珍しい。
そうこうして、やっとアイメルと再会する。そこでプレイヤーは「やっと会えた・・・」と安心するが、そこでまた残酷な運命はアヴィンを襲う。敵対する宗派の手の者によって、アイメルは命を落としてしまう。
「もう、神々の争いに巻き込まれるのは嫌だ!これ以上、なぜ不幸にならなきゃいけないんだ!」
自暴自棄になるアヴィン。プレイヤーも終始を見ている為、自然にアヴィンと同じ気持ちでプレイすることになる。だが、すぐにそれは浅い考えであることを思い知らされることになる。バルドゥス宗派の最高権威者や、他の人は言う。
「アヴィン、なぜ二つの宗派が対立するのか。我々もその始まりを知らない。だからこそ、始まりを知る必要があるのではないかと気付いたのだ」
「始まり」。いつの頃からか、「始まり」がある事も忘れて、流されるままに流されていただけであり、流されるままに嘆いていただけであった。だが、ここからアヴィンは流れを見極めて行き、真実を知る為に初めて、自分の意志で旅をすることになる。
そう、これからが本当の始まりなのだ。
「朱紅い雫」とは、神々の歴史と同時に、人間の成長物語でもある。
これほど、「善」も「悪」もない物語もないんじゃないかな。今まで「善」だと思っていたバルドゥス神も「悪」だと思っていたオクトゥム神も、第三の神であるドゥルガー神の宗派から見れば「どちらも悪」にしか見えない。お互いに争い、その争いは関係ない者までも傷つけている−その事実を知らされるまで、単なる「善悪物語」だと思っている人は多いと思う。そして最後の戦いは・・・。
はっきり言って、「やられた」である。人間たちが神に頼るのではなく、自分たちの意志で歩み始める時。それを克明にした物語は、「重い」が「読みごたえ」がある。
しかし、これだけ素晴らしい物語でも、肝心のゲームバランスのキツさの為に、途中までで投げ出す人の方が多いと思う。
後半になれば、すいすい進むようになっているし金も貯まりやすいのだが、始めの方では本当に魔物を倒す事自体難しい。しかも「白き魔女」と違い「ゲームオーバー、やり直し」である。金はあまり貯まらないし、セーブする手段は「宿屋」の「金は安いけど、場所が限定」か「テント」の「値段が高いけど、どこでもセーブ」のどっちかだけ。これでは、かなりキツすぎる。
とどめが、「戦闘」である。「白き魔女」ではランダムエンカウントではなく、ある程度固定されていたのでそれを目安にレベルアップしていけばちゃんとクリアできた。しかし「朱紅い雫」では「ランダムエンカウント」である。下手をすると、次の街まで一度も敵に出会わないこともかなりある。
ついでだから言うが、マップの構成上、いきなり「最強レベル」の魔物のいるエリアに迷いこむこともある(セーブしていないと悲惨)。←ちなみに中盤で、だよ。
その結果、武器はなかなか買えないし、レベルアップは時間かかるし、と長い間つらい思いをしなければならないのはどうにかならないのか。中盤はともかく、初盤ですでにこういうバランスでは、プレイヤーのやる気を挫くだけだと思うのだが。
また、マップのパーツが今一つ単調な嫌いがある。「白き魔女」と違い、マップの景色にほとんど変化がない。これでは飽きるのも早い。プレイヤーは後半に入って「ワープ」に似た手段を使えるまでは、端から端まで歩き続ける事もザラなのだから、なおのこと、気を使って欲しかったところだ。
あちこちで「開発中のソフトなんじゃないのか?」などと悪口を言われていたが、それも当然だろう。バランスは絶対、改良して欲しかった。おかげでクリアしても「もう一回やろう」という気には到底なれない。
そう。「朱紅い雫」はある意味、「マゾゲー」なのかもしれない。
「ク○ゲー」よりはマシなんだけどね。遊べるから。つらいけど。
蛇足ながら、「朱紅い雫」の世界は「白き魔女」の数十年前、ティラスイールの隣に位置するエル・フィルデインである。ということで、少なからずとも「白き魔女」と関連する話が入っている。気付きにくいようになっているのだが、ふと「・・・そういや、こいつの名前は・・・あっ!!」と気付くというのは結構楽しい。これは連作ならばでの楽しみだなぁ。
ずっと後になって、中盤〜後半の敵にはアイテムが有効だと知りました。・・・貧乏性の私にはできません(苦笑)
なお、今ではPS版も出てます。