Title:神の座
ある所に、二人の男がこのようなことを話し合ったことがあった。
「昔から、この世のどこかには<神の座>というところがあり、そこには神々が座しておられるという。古くから伝えられる言葉には、ペガーナの連山にあったとも、オリンポスの地にあったとも、あるいは沙羅双樹の下であったとも、またまたはその他のはるかな辺境にあったとも伝えられている。もっともこの中には<神>ではなく<聖人>が座しておられたとされるものもあるのだが。
さて、これら<神の座>では、いつもは神々が座しておられるが、ただある場所に在ると言われる<神の座>だけは、永いこと、永いこと誰も座しておられることなく、ただ空のままであるということだ。
なれば、誰か一人でもそこへ行き、その場に座すれば、それを見た人からは「ああ、神が戻ってこられた。あの者はあの座におわしているのであるから、神であるに違いない」と、こう考えることだろう。
そうして、人は人にこのことを伝えて、その者を神として畏れ敬うことだろう。
そうすれば、その者はもはや人などではなく、神となれるに違いない。」
「それは素晴らしい、大変素晴らしい話だ。
しかして、その場が果たして本当にあるのか、あるいはその場があったとして、本当に神々がいないのか、あるいは−−」
「そこまではわからぬ。しかし神になれるやもしれぬなれば、試してみる価値はあるかもしれぬ」
「それもそうだ。しかしこのことを試すには、入念な打ち合わせと、慎重な準備が必要であろうから、これからじっくり話し合わねば」
そうして、二人の男はお互いに意見を戦わせ続けていた。
その様子を、はるかな遠方、もしくはこの世の外にある<世>−−<神の世界>から見つめて、ほくそ笑んでいるものがあった。
そのものは誰となしに話しかけるでもなく、ただこうつぶやいた。
「馬鹿め、人が<神の座>などに辿り着けるはずがあるまい。神のみが辿り着けるからこそ<神の座>であるのだからな。それに、我らは人の信仰などどうでもよい。玩具で遊ぶ者が玩具に希われて何の意味があろう?そして、我らは神である」
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