Title:宙(そら)の名
「宙(そら)には名があるのだろうか。あるとすれば、それはどのような名なのだ」
予言者イグは、日夜の中、その言葉に取り憑かれていた。
市(まち)の中、家々の中、蒼天の下、野原の中、いかなる場所にいようとも、イグはその言葉を繰り返しつぶやくだけであった。その言葉のみをうわごとのようにつぶやき続けるイグを見て、市(まち)の人々はこのように声をひそめて語り合った、「イグはどうなされたのだ。我らに言葉を伝えるべき予言者があのようなってしまっては、我らに言葉を伝える者がおらぬではないか」と。
また、人々はこのようにも言った。「誰ぞ、誰ぞ、イグに答えを与えられる者はおらぬのか」と。
その声を聞いて、智慧の神の予言者たるラムヌはイグの後を追った。そうして、ラムヌはイグに語りかけた。「何故に宙の名を求める?」と。
すると、イグは答えた。「それはだな−−例えば、島々がある。島々というものは、それだけではただの島々である。しかし、それに一度、『グーンヌハイ』と名付けられたらば、以後その島々は『グーンヌハイ』と呼ばれ、しかもそれは他の島々とははっきりと区別されるだろう。例え他に双子のようにうり二つの島々があったとしても。
また、海にも名前があり、それらは『中の海』、『外の海』、『沈黙の海』、『島の海』、さらには『果ての海』、この他にも無数の名が付けられておる。しかしそれらとて、実際には全てが連続しており、これらの名がなければ、海はただの海のままであっただろう。だが、名が付けられた以上、これらはそれぞれに領域が成っており、すべて一つとして扱われることがない。
それだけではない、夜空に輝く星の一つ一つでさえも名が付けられ、その名は古くより永いこと伝えられている。
だが、これらの名を付けたのは誰であろうか?今はこの世におらぬ古き人々が名付けたのであるか、それとも<地球>と<世界>を作られた神々が名付けられたのか、あるいは<この世>を夢の中に見ておられる大神マアナが、夢見るままに名付けられたのか、これらの事々を知っている者がいるのか?
しかも、海や星、あるいは森や野原などそれらには名が付けられているというのに、我らの周りに常に在(あ)る<宙>にはなぜ名が付けられていないのか、あるいは、本当は名があるのだが、それは我らの与り知らぬところへ深くしまいこまれているのか、これらの事々をいくら考えたところで、未だに答えは出ておらぬ」と。
そこでラムヌは言った。「さて、我は智慧の神の予言者であるが、そのような問いに対する<言葉>は持ち合わせておらぬ。さりとて、我の信ずる神に伺いを立てるのも難しかろう。というのはだな、もしその問いが神々の秘密の中にあるものであったならば、伺いを立てるということは、たちどころに神々の怒りを買うところとなり、汝(なれ)はおろか、我をも<この世>から解き放ってしまわれるだろう。それは我の好まざるところである。
それだけではない、もしマアナが夢見るままに名付けられたのであれば、それは神々の秘密と同じことであり、従って調べようとしたならば、たちどころに我らの存在は、神々の力によって<この世>から消されてしまうだろう」
また、ラムヌはこうも言った。「しかし、我は思うのだが−−『宙』の名が知りたいというのであれば、汝が自ら名付けるというのはどうであろうか。そうであれば、恐らくは誰も−−神々すらも文句を言いはしないだろう。その方が汝のためにも良いと思うのだが」
しかしイグはただ首をうち振りながら、言った。「我とて、幾度もそうしてみようとは考えたことがある。しかし、そうしたところで、それは<本当の名>ではない事は他ならぬ我自身が知っておるからには、この問いに対する答えとはなりえぬのだ」
そうして、ラムヌとイグはその場で別れ、イグはまた『宙』の名を求めて再びさまよい続けた。
それからしばらくした後、暗闇が地上に降り立ち、人々が眠るのと同じように、イグは眠りの中に落ちていった。すると、ヨハルネト=ラハイは、毎夜毎夜、小さな夢を人々に送り届けるのだが、この日ばかりはイグにだけ、小さな夢を送ろうとしなかった。そうして、イグは夢見ることもなく一夜を過ごした。
その夜中、イグの枕元に神々の一人がやってきて、言った。「イグよ、汝は何故に宙の名を求める?宙の名を知ったところで、汝が何を得るというのか?もしくは、我ら神々、そしてマアナが密かにしておられる事々を探し求め、我らの怒りを買うことを恐れないのか?」と。
イグは答えた。「我らの周りに在る物には名がなく、しかも境界のあるはずのないということでは、宙と同じであるはずの海に各々の名があり、また、形もなく、ただ感じるのみである風にも名があるというのは何故であるか。我はこのことを考えてからというものの、未だ満足出来る答えを持っておらぬ。これでも、我は予言者と言えようか?」
「また、神々の秘密、あるいはマアナが密かにしておられる事々こそ、人々の知りたいものであるがゆえ、予言者たる我は探し求めたり」と。
それを聞いて、神は何も言わずにイグの前から去り、再びイグがただ一人となった。
そうして、イグはまた何処かへと旅を続けたのであるが、その旅に終わりがあったのか、あるいはイグが答えを得たのか、それとも神々によって<この世>から解き放たれたのか、それらの事々を知る者はいない。そして二度と、<宙の名>を探し求めようとする者は現れなかった。
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