Title:神を信じなかった男
むかしむかしのこと−−山沿いの小さな村の中に、神を信じない男がいた。
男は子供の頃から神というものを信じたことがなく、祈りを捧げることもしなければ、神の名を畏れたりもしなかった。親も幾たびか彼に神のことを教えたが、彼はそのたびに笑い飛ばすのだった。
あるときなど、牧師が彼を改心させようと、彼の家に向かったことがあった。しかし彼は牧師をからかったり、牧師が返答につまるような、神に関する意地悪な質問をいくつも投げかけたので−−哀れな牧師はすごすごと帰っていくのだった。
それだけではなく、男は元からいたずら好きでもあったので、子供の頃から人々が祈りを捧げているのを邪魔したり、神をからかう言葉を吐いたりすることがあった。牧師が説教をしているところへ蛙や蛇をどっさり投げ入れて、大騒ぎにさせたこともある。
そのような男だったから、村の人々は、いつかきっと罰があたるぞ、と囁いていた。それでも男に罰があたる様子はこれまでに一度もなかったので、村人たちは日に日に少しずつ不安になっていた。もし、神が我慢の限界を超えたとき、男のせいで村に何かひどいことが起こりはしないだろうか、と。あるいはもしかすると、男が言いふらしているように、本当に神というものはいないのかもしれない、と思う人もいたのかもしれないが−−どちらにせよ、不安は少しずつ大きくなっているのだった。
そうしてある日、男はこれまでにやったことのない、「とんでもないいたずら」をやってしまおうと思っていた。そのいたずらは、ずいぶんも前に思いついていたものの、それを実行するにはいくらかの準備をしなければならず、今まで準備に時間がかかっていたのだった。それがやっと全部終わった。あとは考えを実際に実行するだけだ……男はそう考えると、唇に薄笑いを浮かべた。
そのいたずらとは、草木を集めてけばけばしい色の染料を作り出し、その染料を村からすこし離れたところにある、山の中腹にある神像にぶっかける−−それは確かに、神を信じている者からすれば「とんでもないこと」である。男は朝になって参拝に来た村人が神像を見てどんな顔をするかを想像すると、このいたずらがうまくいくように思わずにはいられなかった。
日も暮れて、村人たちが寝静まったころを見計らって、男は染料を入れた壷を神像を安置している社(やしろ)まで運んでいった。神像にぶっかけるのに必要だと思われる染料の量もそう多くはないために、運ぶのにそう時間はかからなかった。
社に着くと、男はさっそく蝋燭に灯をともし、辺りを薄明るくしてから、神像の前に立った。薄明るいなかで見る神像はなかなかに不気味に感じられたが、神像に染料をぶっかけないまま突っ立っているわけにもいかなかったので、男は壷の蓋を開けると、神像がまんべんなく染料で染まるように染料をそろそろとかけていった。やがて神像がところどころがまだらになった、けばけばしい色で覆われたのを見て男は満足して、空になった壷を手に取り家に帰っていった。そして次の朝にどう騒ぎになるのかどうかを想像しながら、男は眠りに落ちていった。
次の朝になって、男の期待のとおりに神像を参拝に来た村人たちは大いに驚き、畏れた。このようないたずらをするのが誰であったかは考えるまでもなく明白であったが、いよいよ神の怒りが爆発するやもしれず、男のそばに行ってとばっちりをくらってはかなわぬ、ということで村人たちの間で意見が一致し、みなのものはあえて男と男の家には近寄らないようにした。そして牧師は、神像の有り様を見て気絶していた。
そのように怯えている村人たちの姿を眺めて、男はいたずらがうまくいったことを知って、一人悦に入っていた。ほらみろ、あんないたずらをしても雷ひとつ落ちてこないじゃないか。やっぱり神なんていないじゃないか−−そう思いながら、家の中で「いたずら」の後かたづけをしていた。
その夕暮れにのって、灰色の衣をまとった者が村にやってきた。その者は前身を衣に包んでおり、顔も衣の影に隠れて見えないのだった。そして村人が不審に思い眺めるなかをそのまままっすぐに、男の家の入り口までやってきた。そして灰色の衣の者は、戸口を叩き男に何かを告げた後、そのまま家の中に入っていった。
その様子を見ていた村人はもしやという思いと、これから何かが起こりそうだという不安を抱いた。だがやはりうかつに手を出すべきではないという結論に至り、不安を抱いたままおのおのの家に帰っては口々に村に悪いことがおこりませんように、と神に祈った。
さて男は、家の中に侵入してきたこの無礼者に対していかなる返答をしたものかと思いあぐねていた。灰色の衣をまとったこの侵入者は、戸口でたった一言、「お前に用がある」と言ったきり何も言わず、しかし身動きするでもなく、ただ部屋の中央に立って男を見ているだけなのだった。しかもその顔は衣の影に隠れて、眼光すら見えない為に、男はこれなる者に対して不安を抱いていた。
しばらくして、いつまでも見つめられたままでは気持ちが悪いと思った男は、灰色の衣の者に対して言ってやった。「おい、おまえさん。俺になにか用があったんじゃないのかね。いつまでもそこに突っ立っていないで、何か言ったらどうだい」
しかし灰色の衣の者は相も変わらず身動きもせず、言葉も発しないままにただ突っ立っているだけであった。
食事の時間が近づいていたので、男は灰色の衣の者に向かって言った。「俺はこれから食事をとるが、お前さんはどうするんだい。早く用事を済ませて帰ったらどうだ。お前には食い物は出してやらないからな」
しかし今度もまた、同じように身動きもせず、一言も発しないのだった。ただ少し、衣の影からの視線がやや強まってきたような気がした。
いい加減にじれてきた男は、灰色の衣の男に向かって「さっさと用を言いやがれ!」と怒鳴ったが、それでもやはり身動きもせず、ただの一言も発しなかった。ただ、衣の影からの視線がますます強まったような感覚に襲われた。眼光も何も見えないのに。
男はますます不気味になりながらも、しかしこの何一つしない侵入者に対していらいらが爆発した−−男は「いい加減その薄気味悪い衣ぐらい脱げ、脱がないなら俺がはぎ取ってやる」と叫びながら灰色の衣をつかみ、はぎ取っていった。
灰色の衣の者は抵抗すらせず、衣はたやすく脱げていった。
次の朝が来ても、雷は落ちず、地響きひとつも起こらず、悲鳴すら何ひとつ上がらなかった為に、村人たちの不安はひどいものになっていた。しかし男の家の中を窓から覗き見る勇気のある者はいなかったから、みなの者は不安なままに山の中腹にある社に、神が村に対してひどいことをしないように祈る為に向かっていった。
彼らがそこで見たのは、神像がいつも立っていた場所に突っ立っている、あの男の姿だった。その身体をところどころがまだらになったけばけばしい色に変えられた、あの男の。
そして神像の姿は、二度と永久に村人に見られることはなかった。
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